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自然と人情、みんなで拓く山田の未来

(こちらの行事は終了しました)

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恒例となった「スイカ食べ比べ大会」は、今年も8つの農家の競作で争われました。昨年度の3倍以上の300人近いご来場をいただき、大変盛り上がりましたが、審査のため召し上がっていただくスイカが「足りなくなる」状況となり、せっかく食べ比べにご参加いただいた方には十分堪能していただくことができず、大変申し訳ありませんでした。
今後、かつてのスイカ王国「山田町」の味の復活と改良をめざして、「がんばる地域・農業部会」は「がんばります」。来年もお楽しみに!



歴史史跡をみてみよう
戦国武将 後藤又兵衛生誕の地であり、数多くの史跡や古墳が点在。
ウォーキング大会、史跡と自然巡りウォークなど地域住民でお迎えします。
歴史と文化のまち、山田町を堪能してください。
![]() 多田廃寺跡諏訪神社の西北300mあたり、林崎池の西にある若宮屋敷と言われた地域と伝えられている。 塔の土台の石2個は諏訪神社の境内に保存されている。青銅製の宝珠や石造りの相輪、古い瓦などが発見された。 | ![]() 諏訪神社水と武勇の神様と言われる建御名方神(タテオナガタノカミ)が祀られている。境内には多田古墳と呼ばれる長さ40mの前方後円墳があり、 横穴石室内に石の祠が置かれ、入口の前に拝殿が作られている。「諏訪の岩穴」と呼ばれている。 | ![]() 西多田六地蔵西多田集落の西方の墓地入口に位置している。「元禄元年辰年正月日」(1688年)の銘がある。全高52cm、石仏高22.5cm。 光背幅22cm。姫路市内で確認されている六地蔵では、2番目に古いものである。 | ![]() 専光寺平安時代の終わりに天台宗のお寺として建てられ、1562年本願寺第11代の顕如上人から阿弥陀如来の絵が贈られ、浄土真宗のお寺として再出発した。 木造阿弥陀如来立像が祀られている。特に山門は、“播州の陽明門”と称される昭和初期の傑作彫刻である。 |
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![]() 大歳神社多田村が現在地に集落をつくった頃、その氏神として大歳神を祀った。かつてのご神体であった十一面観音像(大歳神)の本地仏)は現在、専光寺 に安置されている。 境内には元禄15年(1702年)銘の掛金燈籠1対がある。 | ![]() 清盛塚古墳海抜93mの観音山の山上にあり、全長約45mの竪穴式前方後円墳で5世紀後半のものです。後円部中央に竪穴式石棺が確認され、後円部の一部が発掘されている。 多くの埴輪の破片と思われる土器片が出土した。 | ![]() 道しるべ(一石一字法華経塚)天満神社の南の道路の側にある。1765年に作られた道標で、表に「右たじま道」、裏に「明和二年酉 谷口助五□」と彫られている。 後ろにある一石一字法華経塚には「天明八捻歳次 明善坊 戊申龍集日 豪湛」などと彫られている。 | ![]() 御大師山古墳梅林寺の裏山から 山頂までの道には、四国八十八ヶ所の石造観音像が祀られている。頂上からは、平田川流域の山田の平野や西光寺野台地が一望でき、 この地域を支配した豪族が、ここに大古墳を築いた心境が読取れる。 |
![]() 竹宮神社山の斜面を三段にし、上段は本殿、中段は拝殿、下段は境内の広場となっている。天照大神、豊受大神、大年神、稲荷神が祀られている。 明治43年に字大谷から愛宕神社を、大正4年に若宮神社を合祀。 | ![]() 地蔵堂の跡姫路から北条・法華道の1番高台にあり、通行人の疲れを癒す恰好の休み処となっていた。 このお地蔵さんは霊験あらたかで、人々は「平松のお地蔵さん」と親しみ、8月の地蔵盆踊りは現在も盛大に行われている。 | ![]() |